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エミイの宝箱

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ポリネジアの踊りはウラ!ハッア! フラ!

1500年位前にマルケサス島からハワイへと、ポリネジアンが海を越えて移り始めましたが、その後 約300年間移住が途絶えます!理由は不明....ミステリアスな空白ですが、メネフネ伝説は この辺りに由縁がありそうね。MENEHUNEとは、身体が非常に矮小ながら、働き者で神業的土木建築力を持つ人達。実際には、 身体の大きさではなく身分差別されていたマルケサス人への蔑称という歴史も残っています。

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1200年前以降 タヒティからの民族移動が続々再開され、文化もおのずと根付きます。あまり知られていないけれど 、情熱的なタヒティの踊りは「'URA」と呼ばれ、 ハワイに伝わり洗練されて「HULA」となりました。しかし移民達は、女神ペレが成せるダイナミックな噴火の技をまのあたりにして踊りの有り様を変え、ハワイ人としてのオリジナリティを求めたのでしょう。“大自然と神々に畏敬を表す事を前面に押し出す舞い”を生み出し、育みました。これが古典フラと呼ばれるフラカヒコのルーツ・・・・というのが、エミイ説 です。実際に、タヒチアンオテアに相似したカヒコのステップがたくさんあります。HULA という民族舞踊スタイルになるまでの間、 神事祭事としてのハワイアンの踊りは  ハッア(HA'A)  と呼ばれていたそうです。HA'A の意味には、①腰を低く構え力強くヘソを突き上げ回すフラステップ ②神の前にて自ら へりくだる謙譲の姿勢と、二つの意味があります。まだ この頃は、HA'Aと'UWEHE(神に自分の肉体を開き捧げるモーション)しか、なかったのです。ナラニクムの家系カナカオレのフラカヒコの中でも特に古いHULA PELE(ペレの舞い)は、 ひらすら ハッアとウヴェヘの繰り返しなのです。神が降りてくる事を願い、 回して回して開いて開いて! 力の続く限り。これからがフラのはじまり!はじまり!           《Emii Katoo’s Writing》


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